いるまの紹介

いるまのプロフィール

  • 1978年7月生まれ A型かに座
  • 福岡県出身 東京在住
  • 某有名音楽大学卒業
  • 自分開放マインドコーチ
  • スピリチュアルビジネスアドバイザー
  • 引き寄せトレーナー
  • ごきげんプロジェクト株式会社代表取締役
  • スピリチュアルビジネススクール運営
  • 自分軸の学校運営
  • 本当の自分を覚醒めさせ開放させるセッション&セミナー

いるまの人生を一挙公開

幼少期(0歳〜12歳くらいまで)

簡単略歴
  • 5歳:心の在り方の学びを開始
  • 10歳:初のいじめを体験、以降、中学でもいじめを体験する
  • 男は敵、負けたくない、勝つまで戦うという思い込みはこの頃つくりました
  • 私は誰からも可愛がられない孤独で一人ぼっちという思い込みも作り上げました

本当の自分で生きる学びのスタート

5歳の時、両親につれられて心の勉強会に参加したことがきっかけとなり、心の在り方次第で、幸せに生きる方法を学び始める。後に、宇宙の本質だったとわかり、本格的に仕事とすることを決めます。

私が今のように、自分の人生をかけてやっていきたいと思える仕事(スクール事業や心のトレーニングセッション)にたどり着くことは、この時から始まっていました。

その時学んだ内容は以下のようなものです。(かなり省略して書いておりますので、まだまだたくさんありました)

  • 毎日が新しい今日であり、一つとして同じ今日はない
  • 周りの人、親、子供、全てが自分の心の状態を写す鏡
  • お金ものモノも人も、本気の人に集まってくる
  • 毎日を喜んで生きて、目の前のことを全力で楽しむ
  • この世は全て幻想で、自分が作り出したストーリーで、その主役は自分自身

私は、この考え方が大好きで、青春をかけて貪るように学びました。

感情は溜め込むと腐る、だから素直に伝え表現する。

そんな思いを持って生きるようになったのも、この学びがキッカケです。

周りからしたら、ちょっと変な子だったかもしれません。

そのせいか…?どうかはわかりませんが、4年生の時に、人生初のいじめにあいました。

初めてのいじめで見えたこと

小学4年生:10歳の時、私は初めていじめに会いました。

これまで一緒に遊んでいた友だちが、遊んでくれなくなり、のけ者にされるようになったのです。

あまり詳細には覚えていませんが、子供ながらにショックをうけ、毎日布団の中で泣いていた事を覚えています。

親や先生に言うと、エスカレートしてさらに酷いことをされるかも…と思うと、訴えることもできず、ひたすら耐える、そんな時間だったと思います。

ただ、当時の担任はベテラン先生だったため、私が言わなくてもいじめに気づき、私の親に状況を伝えていたようでした。

どんな経緯でいじめが収束したのか覚えていませんが、誰にも言えない孤独、わかってもらえない辛さ、受け入れてもらえない寂しさは、この時強烈に残っています。

私は誰からも可愛がられない、孤独で一人ぼっち。という思い込みを作り上げたのも、この頃です。

ですが、更に振り返ると、幼い頃(3〜4歳の頃)弟が生まれることによって、

  • 母を取られた
  • 一人になった
  • 見捨てられた
  • 存在する価値がなくなった
  • 愛されていない

そのような思いを、毎日少しずつ蓄積しながら成長してきました。

その反面、幼い子どもとしては、母に見捨てられることは死活問題になりますので、必死に可愛がられようとしていました。

  • 母が笑顔になる行動をしようと頑張る
    (ご飯を残さず食べる、きれいに食べる、母のお気に入りの洋服を着る)
  • 母の機嫌が悪いと私が悪い子だからだと思い込み意味不明にあやまる

いわゆる、聞き分けの良い子、いい子になろうと必死に努力していました。その他にも努力したこと満載です^^;

結果、この思いを強烈に強化するような出来事が10歳の時に起こった、ということです。

幼少期の見捨ての傷や拒絶の傷は、私の生まれ育った環境も強く影響していました。

男性は競う相手という思い込みを創った経緯

福岡の旧家に生まれ、男尊女卑傾向のある家庭で育ちました。

女性は家事育児+男性の世話、さらに、商店を営んでいたこともあり仕事もする…

一方男性(特に祖父に対して)は、仕事だけして終わったらどかっと椅子に座り、「おーい!」「あれ」「これ」と指図するだけでご飯が準備され、好きなテレビを見て、家のことは何もしない。

弟である長男は可愛がられ、姉である私は「女だから手伝え」などと言われる。

私が母や周りから愛されず、弟が大事にされるのは、私が女で弟が男だから!

男はズルい!ムカつく!最低!大嫌い!
女である以上、損をし続ける、割りに合わない、報われない、…

男性のことも嫌い、女性であることも否定して育った私は、男性は敵、絶対に負けたくない対象、と位置づけ、男性と競いながら、その後30代半ばまで生きていくことになります。

この経験は、離婚2回の経験に象徴されていますね。

ちなみに、父に対する記憶は幼少期とても薄いです。祖父と弟に対する記憶、そして母への気遣いのほうが強烈で、父の影はほとんどありません^^;

青春期(13歳〜20歳)